沖縄伝統空手とは

 現在、日本のみならず、全世界約187カ国で競技人口が約6000万人と言われている空手は・・・
 
 沖縄がまだ琉球王国であった時代、琉球古来の武術   “手・ティー”  は中国拳法の影響を受けつつ、 “唐手・トゥーディー”  へと発達しながら琉球士族に代々、秘伝の術として脈々と受け継がれてきました。
 
 日本で江戸幕府が倒れ明治政府が発足した頃、琉球國はこの新政府による強制的な武力併合を受けて、琉球王府は消滅します。※下段注釈

 すると、唐手は失職した士族階級から、沖縄県内の学校体育教育などを通じて一般子弟へと伝えられました。
 
 そして大正~昭和初期頃になると日本本土へも紹介され、 “唐手 ⇒ 空手” となって、日本の武道となっていく訳ですが、その過程で本来の沖縄伝統空手とは異なる傾向に変遷します。
 
 まず、伝統空手の「関節技」「投げ技」「武器術」などが取り除かれ、型稽古よりも組手競技偏重となり、スポーツ競技化した空手が現在の主流となっています。

 
 沖縄伝統空手は「空手に先手なし」の言葉の通り、本来は自衛の為の武術であって、他人と勝敗を競い、ゲーム性を楽しむものではなかったはずなのです。

 
 つまり単に“勝つ”事が目的ではなく、絶対に“負けない事こそが重要な点です。

 その目的達成の為、一撃で 眼球、頸動脈、喉、心臓、金的、両手両足の関節など、人体の弱点を狙う訳で、現代の競技空手ルールに従うと、全て反則となります。

 ※ただし、人命を奪うことが目的では無い。 

 沖縄伝統空手と一般の競技空手は、目的と方向性が異なると言えるでしょう。


注釈:日本史においては「琉球処分」と記述されるが実際には、明治政府の松田道之らが熊本鎮台府分遣隊所属の歩兵300名余と警官160名余を率いて首里城を制圧し、琉球國最後の王「尚 泰」を人質として東京へ拉致。事実上の併合に成功した。